●…murmur…●日々のつぶやきなど。 [PR]× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 人生初☆スカイプ を、しました。暈辺です。たーのしかったーぁ!
好きなこと、真面目なテーマ、真剣に語り合うって、部活以来全くしたことがなかったので、久々に頭をフル回転させた感じです。こういう経験って、やっぱり定期的に必要ですよ。ほんと楽しかったです。ありがとうございました^^ お話していていちばん印象深かったのが、「読み手は作品を選ぶけれど、果たして書き手が読み手を選んで良いのか」ということです。 私は、与えられれば選り好みせず何でも読みますが、好きで読み手に回る際にはやっぱり作品を選んでしまいます。ふつうはそうですよね、好きでもない作品を趣味の時間に読んだりはしません。それが課題や論文のテーマなら別ですが。 こういう人に読んで欲しい、と書き手が考える時点で、それは読み手を選んでいることになります。作品を書くにあたって、テーマを絞るために、対象者を決めることは重要だと思います。でも、書店に並ぶ本を書くのならば、そういった対象者はできるだけ広い層を考えていた方が良いでしょう。受け入れてもらいやすい雰囲気を醸していれば、手に取られる可能性はそれだけ広がります。 けれどもそれは逆に、作品が大衆向けに書かれることを指し、作者が芸術として描きたいものとは離れてしまう可能性も示唆します。書きたいものを書いて、果たして売れるかどうかは別問題。なのですよね。報道番組を制作する時、事実を適確に伝えるか、多少仰々しくドラマティックな演出を交えて伝えるか、どちらが数字を取れるかという話です。 書きたいものを書いて、それが大衆に受けた、という結果論がいちばん理想的です。それが、今、書き手として成功して、悠々自適な生活を送っている執筆者の方々なのだと思います。でも、アマチュアは、芸術家を貫くか、売れ筋を狙うか、究極の選択をいつも迫られているのかもしれません。 私はと言えば……曖昧が大好き!ですので(苦笑)、そこまで深く考えていません。芸術と大衆の真ん中をぬるぬる行くのが好きです。 ええと、青人さんにはお話しましたが、私が私の詩の方向性を考える際、パブロ=ピカソを思い出します。彼は有名な作品こそ、一見すると落書きのような奇抜な絵が多いですが、本当は写実もちゃんとこなせる、基礎のしっかりとした画家です。基礎をちゃんと分かった上で、ああいう表現方法に行きつき、何かを表現しようとしたのだと思います。 私も、作品の基礎というか核というか、テーマはきっちりと決めて、あえてそれをぼかして表現し、「完全一致の共感は絶対に得られない」を逆手に取った楽しみ方を見出そうとしています。その試み(遊び)の最たるものが今のところ『春』なのですが。 うぬぬ。考えるのは楽しいですが難しいですね! PR ポエマーよ、自信を抱け。 書き手さんたちは、詩作を楽しめば良いと思うのです。暈辺です。
時々、投稿サイトなどで見かけますが、自分の作品をとても下に見ているような発言をされる方がいらっしゃいます(このような駄作に、とか)。本人は謙遜のつもりだとしても、私はとても残念な気持ちになるのです。 投稿サイトに投稿している時点で、誰かに見てほしいと思っている訳ですから、それなりの作品を出してきているはずです。というか、自信を持たなくてはいけない。技巧的な詩でなくても、感動するような作品でなくても(と、書き手自身が思っていたとしても)、それはその書き手にしか書けない作品であることは間違いありません。 自分の作品を卑下しつつ礼を言われると、「じゃあどうして感想が貰えるところに投稿しているの」と聞きたくなるんです。素敵な作品だから、もしくは興味を惹いた作品だから感想を入れているのであって、だからもっと誇って良い。楽しんでなんぼです、文学だって芸術ですもの。 さってと、洗濯しよっかな。 ひさびさのおやすみ! 今日はバイトも何もないぞ!ウハウハしている暈辺です。
父からメールがあって「新しい家族」というタイトルでセキセイインコの写メが送られてきました(笑)。青と黄色と白のマーブルみたいな模様で、とてもちっちゃい。可愛いです。でも名前を教えてもらっていません。 青人さんと、メールで詩の批評を交換していただけることになりました。わーい。私も批評については何が正しくて何が違うのか、まったくわかっていませんが、メールという超個人的な範囲でなら、思う存分に(私の考える)批評なるものを試すことが出来ます。張り切りますよ! TEXTに上げた新作『春』について少し(なんだか春の新作みたいな響きで面白い、笑)。これは、不思議な夢を見たことがきっかけで書いた詩です。 私は友人と二人で、森の川沿いにある小さなバンガローに泊まっていました。そこには色んな人々が居て、壁には色んな絵が掛けてありました。中でも多いのは花の絵でした。バンガローのすぐ傍には広い花壇と遊歩道があり、自由に散歩ができるようになっていました。私は先日、現実世界でハチミツ専門店に行ってきたので、その夢でも「ここでは美味しいハチミツがとれそうだなー」と考えておりました。バンガローに戻って女主人にハチミツのことを話すと、なんと、彼女はハチミツはおろか、全ての糖分の存在を知らなかったのです。彼女だけではなく、バンガローに泊まっている人みんな、糖分を知りませんでした。糖分を口にするとどうにかなってしまう人々の集まりだったということでした。どうにかなるのは覚えてるんですが、どうなるのかは忘れました。 ……変な夢です(笑)。 とてもハッキリと覚えている夢は久々でした。そこで「これで詩が書けないかな」と書き始め、出来たのが『春』です。書いては消し、を繰り返すうち、夢とは程遠いテーマになりました。なんとかれこれ三時間かけていましたので(苦笑)。テーマは「蜜蜂」です。蜜蜂はみんなメスの蜂で、一生働き続けますが、一匹の蜜蜂がその一生のうち、集めて来れる蜂蜜の量は、ティースプーンにたったの一杯程度なのだとか。ハチミツ専門店で教わってきた知識をそのまま投影させました。 このブログではテーマの公表のみに留めておきたいと思います。詳細の解説は青人さんとの批評交換まで暖めておきます(笑)。 時は流れるものです 私が如何に動かなくとも。暈辺です。 かんせいっ |
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